子宮筋腫について

しばらく更新が滞っていましたが、子宮筋腫手術のため、1週間ほど入院していました。すでに退院して、順調に回復していますが、まだ重いものを持ったりできないし、激しい運動はダメなので、今までと同じような行動はしばらくできなくなりました。健康だけが取り柄だと思っていたのですが、初めての入院生活で色々な経験をし、色々なことを考えたので、同じ病気を抱えている人の参考になればと思い、入院生活の記録を残すことにしました。

子宮筋腫は子宮内にできる良性の腫瘍で、命に関わるものではありませんが、できる場所によって症状は様々です。女性の4人に1人ぐらいが持っていると言われているし、私の場合、痛みはほとんどなかったので、手術の必要性はさほど感じていませんでした。3年ほど前にMRI検査で調べてもらったところ、筋腫の大きさはそれほどでもないけれど、数がたくさんある「多発性」のものでした。

しかし、5年ほど前から体の中の症状はかなり進んでいたらしく、血液検査で分かるヘモグロビンの数値は「10」ほどで、その後、徐々に減少していき「7」ぐらいになりました。普通の人ならまともに歩けないらしいですが、登山でかなり鍛えていることもあってか、この数値で体が慣れてしまったのか、普段、貧血という自覚はほとんどありませんでした。

症状がはっきりしていたのは、月経過多でした。筋腫や内膜症を持っている人は、生理痛が強い人も多いのですが、私の場合、痛みはほとんどありません。なので、月に一度、一定期間だけ耐えればよかったので、このまま何とかなるんじゃないかと思っていました。確かにこの期間は、貧血症状が出ていたかもしれません。そもそも月経の量など、他の人と比べたこともなかったので、普通よりも少し多いのかなと思うぐらいでした。症状が悪化してきたのは、ここ2~3年のことだったと思います。

子宮筋腫の治療には、手術の他にホルモン注射(リュープリン)もあります。去年、このホルモン注射をしました。薬で人工的に閉経状態にして筋腫を小さくするというものです。効果や副作用は人によってかなり差があるようで、どのぐらいの効き目があるか分からなかったけれど、ひょっとしたらグンと小さくなるかもしれないと思って、最大治療できる6ヶ月間、試してみました。月に1度、注射をしていきますが、なかなか月経は止まらないのに、副作用(更年期症状)はすぐに出てきました。体中が急に熱くなる「ホットフラッシュ」という症状ははっきり感じました。治療期間が終わるまでは、時々刺すような痛みがあり、倦怠感と猛烈な眠気に襲われました。治療をしていなかったそれまでの方がずっと調子が良かったです。

半年間の治療が終わると、筋腫のサイズは一時的に小さくなっていましたが、その後、すぐに月経が始まり、また徐々に大きくなっていきました。貧血の数値は少し良くなりましたが、これも一時的なもので、また徐々に下がっていきました。私にはホルモン注射の効果はさほどなかったように思うし、この期間はとても辛かったです。

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長くなるので、今日はこのぐらいにしておきます。

入院生活8日目:退院

本日、退院が決まりましたので、これが入院生活最後の食事になります。自分の体は、自分の食べたもので作られているので、食べることは基本中の基本ですが、こんな風にバランスよく朝ごはんを食べたことはこれまでほとんどなかったように思います。何も食べないことの方が多く、気が向いた時にはグラノーラにヨーグルトをかける程度でした。やはり食事が大事だと思いました。

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献立表は掲示板に張られていましたが、一日の摂取カロリーが2,000kcalぐらいでした。ほとんど動いていなかったこともあり、入院した時よりも退院した時の方が体重が増えていました。その後、2日間自宅療養して、入院前よりも少し落ちましたが、私は普段からもりもり食べる方なので、きっとすぐに戻ると思います。退院後の生活についての説明には「水分を多く摂り、塩分を控えめにして、体重管理に気を付けて」と書いてありました。

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食事と排泄の記録表は自分で付けていました。術後は、腸の機能がきちんと働いているかがとても大事なので、ガスが出ているか、便が出ているかは何度も確認されました。これまでは便秘気味で、それをほとんど気にしていなかったのですが、野菜中心の献立が良かったようで、術後は快便でした。あたり前の話ですが、食べることと、出すことは、生きていく中でとても重要なことだと気付きました。(^^ゞ

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入院時のネット環境について気になる人もいると思いますので、紹介しておきます。入院前に手配しておいたのが、Pocket Wifiです。1日300~500円ほどのレンタルもあるのですが、WiMAXの15日間無料お試しがあったので、これを試してみることにしました。

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大容量のデータのアップロードの必要があったので、スマホのテザリングではとても間に合わなかったので、これがとても役に立ちました。レンタルする前に提供エリア圏内かどうかを確認済みでしたが、大部屋で試してたら「圏外」になっていているのです。ひょっとすると病院全体が圏外なのかと思い、かなり焦りましたが、個室に移ると使えるようになったので、大部屋の方は何か規制されているのかなと思いました。

私の用途は、動画のアップロードがメインでした。通信速度はカタログ上で、下り最大40Mps、上り最大15Mbpsとなっていました。実際にカタログで謳われている数字まで出ることはないと思いますが、かなりばらつきがありました。上りの速度は、調子のいい時で300kbpsぐらいで、遅いときは40kbpsぐらいまで落ちていました。まるで帯域制限がかかったように遅い日とそうでない日があり、夜寝る前にアップロードしたものが、朝起きたら終わっているということも多かったです。実際にアップロードしたファイルは1GBを超えていたと思うので、本当に助かりました。返却後、メールでアンケートが届いたので、回答しておきました。

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退院日にはすぐに退院できるわけもなく、それまでと同じように傷口の洗浄をしてもらってから、ドクターと少し話をして、次の外来受診の予約を入れて、退院の許可をもらいました。着替えを済ませて、忘れ物がないかをチェックしてもらいます。

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腕にしていたリストバンドを切ってもらいました。これでバーコードで管理される生活が終わります。初めて経験することばかりで、新鮮な体験ができました。

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平日ならば、会計を済ませて退院となるのですが、休日は会計がお休みなので、誓約書を書いていきます。保険の書類を書いてもらうために、ここで渡しましたが、あまり反応が良くなくて、いつ誰に渡せばいいのか、よくわからなかったです。

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そして、退院。しばらくは重いものを持ったりできないのですが「重さ」の基準がよく分からないんですが、お腹の力を入れない程度なのかな。まだ腹筋の力はないし、傷口の痛みもあるので、咳をすると痛いです。退院する時に飲もうと思っていたヨーグルト&ストロベリーのフラッペチーノで退院祝いです。しかし、この味は微妙で、もう少しヨーグルトの酸味が欲しいところです。

それからはまっすぐ家に帰らず、入院中に一度も見えなかった十勝連峰と大雪山が見える方向から帰ることにしました。すると、白金温泉に向かう途中、全然前に進まなくなったのです。「みんな、十勝岳を見に行くのかな?」なんて思っていましたが、すっかり美瑛の観光スポットになっている「青い池」までの渋滞でした。渋滞の長さは3kmほどで、30~40分ぐらいかけながら、ダラダラと前に進んでいったと思います。私は途中で耐え切れなくなって、歩くことにしました。反対車線はほとんど車が通らないのに、こちら側はずっと続いているのです。今までは混雑を避けてゴールデンウィークに観光地へ行くことはほとんどなかったので、これほどとは思ってもみませんでした。

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普通に歩くことは許されているので、望岳台まで来てみました。少し霞がかっていますが、やっぱり十勝連峰はかっこいいです。正面にピョコンと尖がっているのが、主峰十勝岳ですね。

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右側の尖った山が荒々しい美瑛岳、そして中央奥が美瑛富士です。美瑛富士の左にオプタテシケがありますが、ちょうど望岳台のケルンの影になっていて見えません。

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反対側は富良野岳です。この時期にここまで来たことはありませんが、例年よりずっと雪は少ないと思います。

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まだ登山はできないので、今日はここまでです。体の中の傷が癒えてくる2~3ヶ月からゆっくり低山から始めたいと思います。これから先のことを考えて手術を決めたのだから、今は体を休めて、次の目標に備えていきたいです。

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入院生活はこれで終わります。まだまだ体は万全ではありませんので、私なりに静養したいと思います。順調に回復するといいのですが。いつも落ち着きなく動いているので、ちょっと不安ですね。

入院生活7日目:術後5日

翌日、退院が決まったので、最後の検査か何かで採血がありました。入院中、採血は1度か2度あったような気がします。私は採血も苦手ですが、針を刺したかどうかもわからないほど上手なナースもいました。「全然痛くなかった」と伝えると「うれし~。私、採血大好きなんです」とニコニコしていました。

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そして、朝食。朝からモリモリ食べて、元気つけなきゃ。

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そして、昼食。お昼もモリモリ食べて、元気つけなきゃ。

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そして、お散歩。天気も良かったので、公園のベンチで本を読みました。図書館で借りたジョブスの伝記は後編しかなかったけど、これがとても面白かったです。癌が見つかってから9ヶ月間、治療をしなかったことを後悔しているような趣旨の話がありますが、これは自分と重なる部分もありました。子宮筋腫に関しては、取って後悔する人もいれば、取らずに後悔する人もいるでしょう。

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頼まれていたビデオも完成し、オンラインで納品を済ませました。一昔前ならば、DVDに書き出したものを郵送しなければならないほどのデータ量でも、時間はかかるもののアップロードができるようになりました。とても便利な時代になったものです。Dropboxは素晴らしいと思いました。

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そして、夕食。お魚と野菜。バランスの取れた食事。

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いよいよ、明日、退院です。

入院生活6日目:術後4日

入院生活は6日目になり、世の中はゴールデンウィーク後半戦に突入しました。私が入院している間、雨の日はないものの、空はずっと霞んでいるような印象がありました。個室の窓からは住宅街が見えるだけで、期待していた展望はなかったです。(^^ゞ

朝食のご飯も量が増えてきました。

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回診の後の診察は、内診台になります。女性なら一度は経験したことがあると思いますが、あれが本当に嫌で、病院に行くのをためらっていました。もっといい方法がないのかなと思います。

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術後4日目にもなると、歩きもかなりしっかりしてきました。平日はとても混んでいて病院内の写真など撮ることができないので、この日はゆっくり探検することができました。1Fには庭園がありました。出られるようになっているのかはわかりません。いつもは外来受診者でごった返している待合にも誰もいません。とても静かでした。

 

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1Fにあるコンビニはローソンです。各階に自販機などはなかったように思うので、買い物はここに来ていました。平日の昼前後はレジを待つ人で行列が出来ていました。

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正面玄関は2Fです。ここはスターバックスがあります。こいのぼりが揺れずに垂れています。

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そして、私が入院していた5階東病棟のナースステーション。極度の方向音痴なので、コンビニまで行くのもやっとだったし、ここに戻るのもやっとでした。

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テレビ、冷蔵庫、コンセントは、共通のICカードで使えるようになっています。販売機で購入し、チャージしていくタイプです。400円で24時間使えるようになっています。

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テレビで、課金の確認などをします。この端末には、WindowsXPがインストールされていて、インターネットも出来るようになっています。キーボードはソフトキーボード(しかも五十音順)だったので、何か検索をしようと思っても、なかなか難しかったです。(^^ゞ

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そして、昼食の時間になりました。野菜がたっぷり入ったカレーです。これがとても美味しくて驚きました。この日の食事は選べるメニューだったんですが、迷わずカレーを選びました。

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天気もいいので、散歩に出てもいいかナースに確認したら「敷地内だったらどこに行ってもいいですよ」と許可をもらったので、病院の周りを散歩することにしました。

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いつも混んでいる駐車場も今日はスカスカです。外来受診者や入退院の送迎は無料ですが、お見舞いなどの場合は有料になります。

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公園があったので、さらに歩いてみました。今年の桜はすでに終わりを迎えているようです。

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その後、仕事が早く終わった夫が様子を見に来ました。私の回復ぶりに恐れおののいていました。ドーナツをごちそうしてあげました。

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そして、夕食。麻婆豆腐もクオリティが高かったです。見習わないといけないなと、心から思いました。

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部屋から見える景色はこんな感じでした。反対側の大部屋からは大雪山~十勝連峰までくっきりと見えるんですが。

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だんだん、パワーアップしてきたのが自分でもわかります。体の表面にある傷は2週間ほどで癒えてくるようですが、体の中が回復するまでには3ヶ月ほどかかるようです。それまでは重いものを持ったり、激しい運動などは禁物です。

「無理したら、腸が出てくるよ。」とドクターに脅されました。

これから先のことを考えて、手術を決断したので、今は安静第一です。

入院生活5日目:術後3日

術後3日目になると、まだ傷口は痛むものの、体の自由がだんだん利くようになりました。診察後、ドクターから退院希望日について聞かれました。順調に回復しているので、退院の許可が出ました。この日は迎えに来てくれる人もいないので、予定通り週明けに退院することにしました。

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1Fにコンビニがあるので、コーヒーを買ってきました。この日から普段のスタイルに戻りました。まだ同じ体勢で長時間居られなかったので、椅子に座ったり、ベッドに横になったり、歩いたりしていました。

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術後、点滴は2箇所にありましたが、1箇所はすでに外していましたが、この日残っていた分を外してくれました。

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スッキリしました。解放された気がしました。

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朝の掃除やゴミの回収など、みなさん一生懸命働いてます。シーツ交換は週に1回かな? ホテルのようにピシッとしています。

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そして、昼食。温かいし、美味しい。

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下着は使い捨ての紙ショーツを使っていましたが、持ってきた着替えがなくなったので、コインランドリーで洗濯することにしました。洗濯に100円、乾燥に200円かかりました。持ってきた本は読み終わったので、図書館に寄ってみました。病気に関する本が多かったですが、ジョブズの伝記があったので借りてきました。

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そして、夕食。全体を通して、肉よりも魚の方が多かったですね。ご飯の量は徐々に増えてきました。

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ずっとビデオ編集をしていたので、時間のかかるレンダリングや書き出しの合間に本を読むということを繰り返していました。

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入院生活4日目:術後2日

術後2日目になると、ナースが見に来る回数はかなり減ってきて、何もすることがない時間がかなりありました。立ったり、歩く時間を少し増やしてみましたが、どちらかというとダラダラしている時間がとても長かったように思います。

咳をすると傷口が傷むのは変わらずで、その話をナースにすると「お腹に枕やクッションを当てると少し楽になりますよ」と教えてくれました。

入院して初めての朝食は、まだお粥でした。

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食後に飲む薬は、痛み止めと胃薬です。その他、抗生物質の点滴をしていました。その後、ドクターの回診がありますが、大学病院ということもあり、医者の卵たちが一緒に回ってくることも多かったです。その後、内診と傷口の洗浄などがありました。腸がきちんと働いているかが重要なようで、ガスが出たか、便が出たかを確認されました。ガスは術後2日目ぐらいから出たような気がします。

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この日の写真がほとんどなかったので、本を読んでいる時間が長かったかもしれません。

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昼食はパンでした。レーズンとかぼちゃかな。おかずはチキンと野菜がたっぷりです。

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そして、何もしていないのに夕食。普通のご飯になりました。おかずの味付けもだんだん濃くなってきて、普通の食事に戻ってきました。

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この日、シャワーを浴びました。点滴の部分は防水テープでグルグル巻きにしているし、利き手が自由に使えないので、顔を洗うのもなかなか大変でした。

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術後、寝たり起きたりをダラダラ繰り返していたので、夜はあまり眠れませんでした。読んでいた本は後編に入り、だんだん盛り上がってきました。私は活字が苦手なので、本を読むのにも結構時間がかかります。

入院生活3日目:術後1日

目覚めても傷口にはそれなりの痛みがありました。特に体勢を変えるときの痛みは強かったです。術後1日目は入浴もシャワーもダメだったので、ナースが温かいタオルを持ってきてくれました。左手は自由が利くので、自分で体を拭き、歯を磨きました。出来ることは自分でやり、うがいだけはナースに手伝ってもらいました。

痛み止めはプッシュ式のもので、痛みが強くなったら押すというものですが、ナースが1回か2回、自分では1回押しただけで、それほど必要に感じませんでした。夜になるまでにこれは外したような気がします。

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窓を開けてもらいましたが、大部屋とは反対側にあるこちからから大好きな大雪山と十勝連峰を見ることはできなかったし、空は霞んでいました。

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術後、初めて立ち上がったのは、午後になってからだったと思います。立てるし、歩けるだろうなとは思っていましたが、体勢を変える度に傷口は痛みました。この時、尿道にカテーテルを入れていたのですが、自力で歩けるようになったので、カテーテルも外しました。驚いたのは、尿意も違和感もほとんど感じていないのに、尿が排出されていることでした。「えっ、管が入ってるの?」という感じでした。これを取る時は、一瞬気持ち悪かったです。

それからは、自分でトイレに行けるようになるので、水を飲む許可が出ました。まだ買い物に行けるほど歩けるわけではないので、買い物は補助看さんにお願いしました。

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晩御飯が出ました。48時間ぶりの食事になります。やっぱり口から食べられるのが一番幸せですね。

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この日は、まだほとんど動けなかったし、痛みもあったので、ベッドの上で過ごすことが多かったです。山の本を2冊とパソコンの本を2冊持ってきましたが、まだ読んでなかった本を読み始めました。ネパールの地震が起きたばかりで、救助活動が難航していましたが、この本の舞台はエベレスト(ネパール)だったので、すごく複雑な気持ちになりました。

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同じ姿勢を保ち続けるのにも限界があったので、疲れたら休み、目が覚めたら本を読んだり、パソコンを使ったりといった感じで過ごしていました。入院中、テレビを見たいと思ったことはほとんどなかったです。

入院生活2日目:手術日

起床時間は朝6時です。病室にはナースの清々しい挨拶が流れ、その後、検温があります。手術日なので、初日のように自由に出歩けるわけもなく、朝からナースが沢山出入りしていました。私は8時半から絶飲食になったため、2日目は食事の写真がないのです。

浣腸の話でも書きましょう。食事中の方はご遠慮ください。(^^ゞ

手術経験のない私には、これまで浣腸の経験はありません。それはもう興味津々です。担当してくれたナースに色々質問しました。まず、写真を撮っていいか確認すると、テーブルにこれから使うものを広げてくれました。左が浣腸、右が患者を識別するための読み取り機です。

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入院した時にリストバンドを付けられていて、何か処置をするときにこのバーコードを読み取っていました。

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話題は浣腸の話になりました。

みっちぃ 「それやったら、すぐにクルの?」

ナース 「すぐに便意を催すので、トイレに行って、立ったままお腹に手を当て円を描くようにして、お腹の中に残っているものを掻き混ぜるようにして、できるだけ長い時間耐えてください。そうですね、ドラえもんの歌の1番を歌いきるぐらいまで我慢してください。我慢ができなくなったら、便座に座ります。」

そんな風に答えてくれました。その後もこのナースに何度か処置してもらうことがありましたが、とても楽しい人でした。

浣腸の処置は、あっという間で、何かオイルのようなものを塗ったかと思ったら、すぐにこの液体を注入したと思います。「えっ、これで終わり?」そんな感じでした。

そのままトイレに向かい、言われたとおり、ドラえもんの曲を歌おうと思いました。でも、ドラえもんの歌ってどの曲のことかな・・・う~ん、歌詞が思い出せない・・・

そんなことを思っているうちに、予定の時間がやってきました。あ~、スッキリした。

 

絶飲食になってからは点滴で栄養素を摂ることになります。左手の血管にはうまく入らなくて、結局右腕の内側になりました。私は右利きなので、これが結構不便でした。手術の予定時間は午後1時でしたが、急患が入ったようで、2時間ほど遅れそうです。他にすることもなかったので、このまま院内を回ってみることにしました。

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病室がある階まではエレベーターでしか行けないのですが、1Fと2F間にはエスカレーターもあります。点滴棒を持ってエスカレーターに乗る人はあまりいないと思いますが、試してみました。一応、夫が支えてくれていたので、大丈夫でしたが、点滴棒を支える足が1本、ステップからハミ出してますね。これは危ないかも。(^^ゞ

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1Fにはコンビニがあるんですが、何も与えてはいけない状態なので、そのまま病室に戻っていきました。この時、みち姉さんの結婚式のビデオ制作を頼まれていたので、プレゼント用のアルバムを作っていきました。寝ながらでもできる作業があるのは、とても良かったです。

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そうこうしているうちに、担当のナースが迎えに来ました。手術着に着替え、手術室まで自分で歩いていきます。

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2015042817先生を信頼していたし、緊張というのはほとんどなかったです。可能ならば、手術室の中まで写真を撮っておきたかったです。ここに入ったのは、2時半頃でした。

担当してくれる麻酔科医のドクターやナースがこれから行う処置を丁寧に説明してくれました。音楽はオルゴール系のものがかかっていましたが、音楽は選べるのかを尋ねたところ、有線だから好きなチャンネルに変えられるとのことでした。好きな歌を用意すればよかったかな~とも思いました。

いよいよ手術が始まります。背中の麻酔は最初少し痛かったですが、思ったほどではなく、何度も押されるような、くすぐられているような感じでした。思わず笑ってしまいました。酸素マスクをするまでにはかなり時間がかかったように思います。横向きだった姿勢を仰向けにして、酸素マスクをしました。この後、意識は徐々に遠くなり、気付いたときには、もう手術が終わっていました。

麻酔が覚めて、部屋に戻ったのは、午後8時を回っていたと思います。5時間に及ぶ手術でした。スタート時間が遅れましたが、手術時間としては説明通りだったと思います。ちょうど個室が空いたので、術後はまっすぐ個室に移動しました。

最初に感じたのは、猛烈な寒気と喉の痛み、そして痺れでした。喉は、気管内挿管をした後の痛みで、のど飴が欲しかったです。もちろん傷口の痛みもあり、自力では寝返りをするのも難しかったです。

その後、麻酔でぐっすり眠ったこともあってか、完全に覚醒してしまいました。個室ではパソコンの利用が許されていて、インターネット環境は、あらかじめwifiルーターをレンタルしておきました。まだ設定をしていなかったので、あの長い意味不明なSSIDを打ち込むのも大変でしたが、何とかiPad、パソコン、スマホを繋ぎました。

メールをチェックすると、午前中に退院した向かいのベッドにいたnikoさんから、メッセージが入っていました。私が入院生活をブログに書くと話していて、家に帰ってすぐにチェックしたようです。これには私も驚きました。

ナースは2時間おきぐらいに様子を見に来てくれ、寝返りのお手伝いをしてくれました。右手には2箇所の点滴をしていたので、ほとんど身動きの取れない中、不器用な左手で撮った写真です。

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2015042815痺れは徐々に取れてきたので、何かできることをやろうと、足の指を開いてみたり。いや、全然開けてないけどね。これ、パーですよ。(笑)

 

ずっと残っていたのは、喉の違和感でした。咳をしようとすると、傷口がめちゃくちゃ痛いのです。クシャミなんてしたもんなら、悶絶級の痛みが走りました。腹筋に力が入らず、どうにもこうにも体が言うことをきかないのです。

 

入院生活1日目

初めに言っておきますが、私はこれまで入院はもちろん、点滴の経験すらありません。注射が嫌いで、針を刺す前に「痛い、痛い」と騒ぐタイプです。じっとしていられない性格だし、5分と待っていられずにすぐにどこかに行ってしまいます。協調性や社交性は持ち合わせていないし、本能のままに動き、疲れたらその場で突然寝るような自己中心的な人間です。

そんな私が大部屋で他の方々と共同生活を送れるはずがないと思っていたし、パソコンを使いたいということもあり、初めから「個室」を希望していました。しかし、個室が満室ということで、4人部屋に通されました。空いていたベットは2つあり「廊下側と窓側のどちらにしますか?」と聞かれ、すかさず「窓側で」と答えました。この日はとても暑く、4月だというのに道内は30度を超える地域もあったほどでした。

窓から外を見ても、霞がかかっていて、スッキリとしない景色でした。PM2.5か黄砂の影響のようで、天気は悪くないのに、何も見えないのです。とても暑かったので、窓を開けてもらいました。

ベットサイドにはテレビと冷蔵庫、衣類を入れる棚などあり、十分な広さがありました。

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ベッドの上に準備されていた病衣に着替えると、すっかり病人になったような気がしました。書類にサインをしたり、担当のナースから説明を受けたりしているうちに昼になり、昼食が届きました。驚いたのは食事の美味しさでした。味もしっかりついていて、調味料は何も必要なかったです。私は出されたものは残さず食べるので、きれいに完食しました。もちろんカップは私が作ったものですよ。ストローを差せるようにしてありますが、角度がイマイチでした。(^^ゞ

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その後、検温、採血、病棟内の説明を受け、手術の説明などが終わると、もうすることがなくなってしまいました。もう外に出たくてウズウズしているんです。

ナースステーションに「買い物に行ってもいいですか?」と詰め寄ると「それは外出の手続きが必要になるからドクターの承諾が必要です」というのです。ダメか...と思ったとき、すぐ後ろにドクターがいたので、「先生、買い物行って来てもいいかな?」とお願いをして、許可をもらいました。

「回診があるから4時までには帰って来るんだよ」と念を押されました。入院して、まだ数時間しか経ってないけど、もう外出ってどうよ。(^^ゞ

そして、今年は行けないな~と思っていた秀岳荘のセールに行けました。しかも平日だったので、人も少なくゆっくり見ることができました。

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一応ルームシューズを持っていったんですけど、あまりに華奢だったので、KEENのサンダルを買うことにしました。その他、速乾性の高いTシャツを何枚か買っておきました。山用に作られたものはとても機能的なので、山以外でもとても重宝します。

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戻ってきたのはちょうど4時でした。先生は一度立ち寄ったそうですが、まだ私が戻っていなくて、次に回診に来たのはかなり遅い時間だったと思います。

夕食は午後6時です。バランスの取れた食事と味付け。しかも温かい。これだけの人に温かいものを同時に提供するというのはすごいことだと思いました。

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病棟にはお風呂とシャワー室があり、先着予約で希望の時間に30分利用できるようになっています。私は明日手術で、その後はしばらくお風呂に入れなくなるので、湯船に浸かっておきました。大好きな温泉もしばらくお預けになりそうです。色々我慢しなければいけないことがあります。

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消灯は午後9時で、この時間から絶食になりました。部屋や廊下真っ暗になりますが、ベッドについている可動式の照明を付けていても何も言われなかったので、かなり遅くまで起きていたと思います。

明日はお腹の中を空っぽにして手術に向かうことになるので、下剤を飲むように言われました。

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手術を決めた日

私が入院していた病院は「旭川医大(旭川医科大学病院)」です。ここに初めて来たのは、2015年3月20日でした。つい1ヶ月半前のことですが、この日、初めて会ったドクターと話し、手術の日程を決めて、検査を全て済ませました。

それまでは旭川市内にある産婦人科に3年ほど通っていましたが、子宮筋腫の手術をするとなると「開腹手術」しか選択肢がなく、その場合、2週間ほど入院し、その後自宅療養でさらに休まなければいけないということでした。仕事復帰は早くても3週間ぐらいはかかりそうでした。

「腹腔鏡手術」ならば、体への負担も少ないし、入院期間も短いし、回復するまでの期間も短いということだったので、他の選択肢のある病院に紹介状を書いてもらうことにしました。

もし、手術をするならゴールデンウィークか9月のシルバーウィークがベストだと思っていました。仕事に穴を開ける期間が少なく、手術後も体を休める時間が取りやすいと思いました。今年が難しければ来年でも・・・と思っていましたが、貧血の数値がこれ以上下がると、手術そのものが出来なくなってしまうので、また一からやり直しになります。正直なところ、あのホルモン注射(リュープリン)はもうやりたくないと思いました。

最初に紹介状を書いてもらったのは自宅から一番近い「砂川市立病院」でした。腹腔鏡手術のできるドクターがいる曜日に外来受診したところ、たまたま不幸があったようでそのドクターは不在でした。次の週に予約を取っておいたら、前日に電話がかかってきて「担当のドクターが転勤になるので腹腔鏡の手術ができるドクターがいなくなり、希望される時期の手術は難しいと思います」といったような連絡がきました。地元なので、10年ほど前に不妊治療でかかったこともあるのですが、あまり相性の合う先生ではなかったし、あの診察台に乗ることにとても抵抗があり、そのままフェードアウトしてしまいました。

次に旭川市内の病院を探すことにしました。旭川で腹腔鏡手術ができる病院は「旭川医大」、「旭川厚生病院」、「旭川市立病院」の3箇所ありました。「紹介状はどちらの病院宛に書きますか?」と聞かれた時、どこがいいのか全く分からなかったので、情報を得るために少し保留にしてもらいました。それぞれのホームページを確認してみましたが、どこも実績もあるし、評判だって悪くないと思います。

正直、ピンとくるものは何もなかったです。どの病院にも行ったことがないし、どこにあるのかも分からないので、Googleマップでそれぞれの病院の位置を確認したところ一発で決まりました。

「この病院なら窓から大雪山と十勝連峰が見えるかもしれない」それが理由でした。

外来受診した日に担当してくれたドクターは、腹腔鏡手術の方法やそれ以外の選択肢について詳しく教えてくれました。経験と自信があり、分かりやすく、だからといって、偉そうなワケでもない。(^^ゞ 同じ年代ということもあって、とても話しやすくてよかったと思いました。

しかも、希望する期間の手術室が空いていて、すぐに予約を入れることができるというのです。こんなにトントン拍子に話が進むとは思ってもみなかったので、とても驚いたし、あまりの展開の早さにちょっと引きました。

私には「5年後にキリマンジャロに登る」という目標があります。手術をすることで、体力レベルはリセットされるだろうし、今年は山に登れなくなるかもしれません。でも、これを先延ばしにすれば、病気は進行するだけだし、私は歳を取って体力は徐々に衰えていくでしょう。ずっと悩まされてきた筋腫に付き合って、行動を制限しながら生きていくのが、自分の将来にとってプラスになるとは思えませんでした。

これまでの10年とこれから先の10年を天秤にかけたのです。

子供を持ちたいというか、育てたいという願望はあったけど、今年で42歳になるので、そろそろ諦める時期だと思いました。

「やりましょう」 短い時間で決断し、ドクターにそう伝えました。

待合で待っている間、涙が出てきました。

決断したことへの後悔ではなく、もっと前にきちんと向き合わなかったことへの後悔だったと思います。

 

それから手術までの1ヶ月は、気持ちがとても揺れていました。

しかし、人間の体は、痛みや苦しみに耐えられるように出来ていると思います。肉体的にも精神的にも。

 

入院する直前まで、やることが山積みだったので、朝までパソコンに向かっていました。手術したら寝る時間はたっぷり取れるだろうし、もしかしたら麻酔から目覚めないってことがあるかもしれないから、できるだけのことを片付けておかなければいけないと思いました。午前10時前に病院に到着すると、駐車場は満車で15分ほど待たされました。平日はいつもこんな調子だそうです。

2015050218