新しい風

少し前に「真空パックと共に安らかに。」という話を書きました。打ち上げをしてから、ちょうど1ヶ月経ちましたが、その後、おばちゃんが真空パックの機械を上手く使えているか気になっていました。

するとどうでしょう。おばちゃんからまた電話が入ったんです。

おばちゃん「真空パックの袋がなくなっちゃって、メーカーに電話したら買った所で注文してって言われちゃって・・・。」

みっちぃ「あら、そうなの? たしかお店に在庫があったと思うから、買っていくよ。機械、ちゃんと使えたんだね。」

おばちゃん「すごく使いやすいよ。勢いよく(空気)吸うんだ。」

みっちぃ「たぶん、明日行けると思うから。どのぐらい必要かな?」

おばちゃん「沢山あってもいいから、領収書もらってきてね。」

予想を大きく裏切る電話でした。おばちゃんの声はとても元気がよくて、ハリがあって、何だか前とは違う感じがしました。

機械を買ったお店に在庫があったので、早速届けに行くと、実家から送ってきたという「りんご」を用意して、おばちゃんがにこやかに迎えてくれました。

お店には常連さんの姿もなく、他にお客さんがいなくて、奥の小上がりは真っ暗だったので、おばちゃんと少し話をしていこうと思い、焼き鳥をオーダーしました。

みっちぃ 「15本真空で、15本は持ち帰り、5本食べて行くから。あと、かけそばちょうだい。」

今日はおばちゃんの動きが少し良いように感じました。

久矢のおばちゃん

私がここで食べるメニューはいつも同じ。焼き鳥は今年から値上がりしたようで、1本90円。

もつ5本

焼き鳥をそばに入れるとコクが出てとても美味しくなります。かけそばはずっと変わらず350円。

かけそば

そして、真空パックになった焼き鳥。前のよりもずっと使いやすいみたいです。このまま冷凍して、食べたい時に袋ごとボイルすれば、お店と同じ味が再現できます。

真空パック

そして、家に帰ってから、小豆おじさんからもらった小豆で「白玉ぜんざい」を作ってみました。普段は、ほとんど料理しないけど、圧力鍋という強い見方がついているので、まぁ何とかなります。20分ほど加圧したら、あっという間に出来上がりました。原料から作ると、どれぐらいお砂糖が入っているかよくわかりますね。器は私の作ったものですが、大きめのスープカップはとても使いやすいです。

ぜんざい

新しい風が吹いてきたね。やっとアンケートの集計も終わったので、年内のうちにまとめたいと思います。

キャンドルポット穴あけ体験

個展が終わってから、仕事が猛烈に忙しくなってしまい、あっという間に1ヶ月が経ちました。アンケートの集計もお礼状もまだですが、大事な資産なので、今後に生かせるようまとめていきたいと思います。

予想以上に反響があり、陶芸に興味を持ってくれる人も多くて、とても嬉しく思いました。形の整ったものが安く買える時代ですけど、手作りってやっぱりいいものですね。

 

先日、キャンドルポットの穴あけ体験をしたんですが、やっと窯入れまで進みましたので、経過報告をしますね。

ポットの準備は11月19日(水)からボチボチとしていました。乾燥が進みすぎると穴を開けるのが難しくなるので、発泡スチロールで保管して、いい状態をキープするように心がけていました。

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12月9日(火)にいつもパソコンの勉強会で使っている会場を使って、希望者を募って穴あけ体験をしてもらいました。子供から大人まで、みんな楽しそうにやっていました。

穴あけ体験

仕上げは翌日にして、乾燥させてから、12月13日(土)に素焼きしました。このタイミングで素焼きができるのは驚異的なことなんです。共同で使っている窯なので、タイミングが悪いと2ヶ月以上かかってしまいます。

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そして、12月17日(水)に素焼きが終わったポットたちに釉薬を掛けていきます。普段は白系を使うことが多いんですが、今回は色々な釉薬を試してみました。何に何を掛けたのか忘れちゃったけどね。

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窯出しは土曜日なので、クリスマスまでに間に合うというベストなタイミングです。うまく焼けるといいな。

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五郎ライトの開発も進んでいます。木に穴を開けて、コードを通すという仕事ぶりです。五郎ライトはコード付きタイプとコードレスタイプの2種類リリースしていきます。

五郎ライト

真空パックと共に安らかに。

美唄のB級グルメと言えば「焼き鳥」だと思いますが、美唄市内の焼き鳥屋さんの多くは「もつ」と「せい」しか取り扱っていないお店が多いです。私は数年前までは美唄の職業訓練校で講師として働いていたことがあり、仕事帰りに焼き鳥を買って帰ることが多かったです。色んなお店の焼き鳥を食べましたが、特に気に入ったお店が見つかってからは、ずっとそこに行くようになりました。

そこは、優しそうなおじちゃんとパーキンソン病を抱えたおばちゃんが切り盛りしている小さなお店で、常連客らしき人がカウンターに何人か座っていることはあっても、奥の小上りに人が座っていることはほとんど見かけなかったです。ここで「もつ5本」と「かけそば」を食べて帰ることもありましたが、ほとんどは真空パックにしてもらって持ち帰っていました。

今の仕事に変わってからは、美唄に行く機会も少なくなり、このお店に行くのは年に1度か2度ぐらいになってしまいました。たまに近くを通る時は「もうやってないかな?」とお店の様子を見に行くこともありましたが、おばちゃんの体調が悪くなり、お店は長い間休業していた時期があったりして、いつ営業しているのかもよくわからなくなっていました。

個展をスタートした11月15日に、ちょっと寄ってみたところ、赤ちょうちんが光っているのが見えました。

久々に暖簾をくぐりました。昭和にタイプスリップしたような店内は以前と変わらなかったんですが、少し違和感を覚えました。

いつも、炭の前で焼き鳥を焼いていたおじちゃんの姿はなく、以前にも増してスロースピードになったおばちゃんが焼いているのです。

おばちゃんは私の顔を覚えていないようで、焼き鳥を持ち帰りしようと思って注文しました。

みっちぃ「もつ20本、真空にしてくれる?」

おばちゃん「機械壊れちゃって、(空気を)吸わなくなったの。父さんが連れて行っちゃったんだ。」

この時、おじちゃんが居ない理由が分かりました。

みっちぃ「あっ、そうなの。それじゃ、5本食べて行くから。あと、かけそばちょうだい。」

カウンターには私の他に誰も居なくて、奥の小上りに数人のお客さんがいて、注文を取りに来ないことにイライラしているような感じでした。

みっちぃ「お客さん待ってるみたいだから、手伝うよ。注文聞いてこようか?」

おばちゃん「いいの。(向こうから)来るから。」(←オイオイ)

そうはいっても、焼肉屋のホール経験があるので、お腹を空かせたお客さんの気持ちはよく分かるので、オーダーを取って、飲み物を出すのを手伝いました。

その間にも、おばちゃんの焼き鳥をひっくり返すスピードが間に合わず、だんだんと焦げていきました。

一応、焦げたものは横によけて、焦げていないものを私に5本出してくれましたが、かけそばを作っている様子はなかったので「かけそばのことは忘れちゃったかな?」と内心思っていました。

奥のお客さんも落ち着いたので、その話を切り出してみました。

みっちぃ「おじちゃん、今日いないの?」

おばちゃん「父さん、死んじゃったんだよ。」

みっちぃ「え、そうだったの...いつ頃?」

おばちゃん「今年の5月(だったかな?)に。」

みっちぃ「おばちゃん一人でお店大変でしょう?」

おばちゃん「な~んも大変じゃないよ。一日何人かしか来ないし、お父さんは(焼き鳥を)焼くだけだったから。」

焼き鳥の下ごしらえやサイドメニューを作るのが、おばちゃんの仕事で、おじちゃんは焼き鳥を焼くのが仕事だったから、おばちゃんの体調が悪くなったときは、お店を休むことになったけど、おばちゃん一人でもお店は切り盛りできるんだろう。いや、できてないけどね。(笑)

いつの間に作ったのか分からないけど、ちゃんと「かけそば」も出てきて、多分、来ることはないと思ったけど、おばちゃんに個展の話をしました。

みっちぃ「アルテピアッツァで24日まで個展をやってるから、暇なときあったら見に来て。」

以前よりも病気が進行していて、歩くスピードも動きもスローになってきたけれど、おばちゃんを元気にしてあげたいな~と思いました。

みっちぃ「来週、何人かで来てもいいかな?」

おばちゃん「いいよ。人数決まったら電話ちょうだい。」

そんなやりとりをして、この日は店を後にしました。

次の日曜日、ひょっとしたらおばちゃんが見に来てくれるかもしれないと思って、ちょっと期待していましたが、おばちゃんの姿はなかったです。

次の月曜日(11月17日)からは、私はギャラリーに行けなかったので、えびすの仲間たちが交代でお留守番に行ってくれたのですが、おばちゃんが足を運んでくれたそうです。

市内とはいっても、あの歩くスピードでどうやってアルテピアッツァまで足を運んだのかな? バスかな? ひょっとしたらタクシーで行ったのかな? そんな気持ちになりながらも、来てくれたことにとても感激しました。

そして、休館日の翌日の11月19日(水)北海道新聞の空知版に大きく記事が載りました。この日から、来場者数はかなり伸びたようです。

そして、私の名刺を持って帰ったようで、おばちゃんから直接電話が入ったのです。

おばちゃん「この前見に行ってきたよ。新聞にも載ってたね。」

みっちぃ「ありがとう。土曜日、みんなで行くからよろしくね。」

聞き取れないか細い声でしたが、喜んでくれたようで、私も嬉しかったです。

そして、打ち上げ当日。普段は化粧っ気のないおばちゃんがちょっぴりめかし込んで私たちを迎えてくれました。

しかし、普段来ない人数に厨房内はパニックで、案の定おばちゃん一人の手に追えず、なぜかKIKUが厨房に入り、手伝っているんです。(笑)

超美人なので薄くモザイクかけておきますが、すぐにでも小料理屋開けるほど似合っています。

KIKU

お店を貸し切った方がおばちゃんの負担がないかな~と思って、貸し切ったつもりでしたが、いつもの常連さんがカウンターで私たちの様子を見ていました。

打ち上げ

そして、おばちゃんの焼き鳥。ちょっと焦げたりしてるけど、ここの焼き鳥は最高です。

美唄焼き鳥

打ち上げ終了後、これからも美味しい焼き鳥を真空パックで持ち帰ってもらえるよう、おばちゃんに真空パックの機械をプレゼントしました。

おばちゃんは突然のプレゼントに驚いていたようでした。新しい機械の使い方がわかるかな?とやや不安要素もありますが、おばちゃんの美味しい焼き鳥を家庭でも再現できるよう、取扱いに慣れてくれるよう願うばかりです。

真空パックを連れてこの世を去ったおじちゃん。

そして、優しいおばちゃん。

人生色々あるけれど、また新しい風が吹くといいね。

止まない雨はないし、向きが変わらない風はない。

人生の残り時間

父が亡くなったのは2009年8月でした。40代後半で糖尿病と宣告されていたと思いますが、若い頃から脂っこいものや甘いものが好きで、病気を宣告されてからも食べるものをセーブしているようには見えなかったです。いい大人に周りがとやかく言っても、喧嘩になってお互いに気分が悪くなるだけだし、自分で買い物に行けるうちは好きなようにしていたと思います。まだ62歳という若さでしたが、糖尿病からくるあらゆる合併症は、長い年月をかけながら、ゆっくりと体を蝕んでいき、亡くなる1年前には80歳過ぎに見えるほど衰弱していました。

若い頃からエンジンのついた乗り物が好きで、車が大好きでした。一度走った道は全て覚えていて、暇さえあれば、母と一緒にあちこちに出かけていましたが、車から降りて辺りを散策するということはほとんどなかったように思います。還暦のお祝いをした時には、すでに杖なしでは歩けない状態で、仕事もまともに出来なくなっていました。

当時の記憶はすでに曖昧になってきましたが、最期の1年間は、自分でトイレに行くこともできなくなり、入退院を繰り返し、貯蓄のほとんどは医療費に消えていきました。

私は昔から父が苦手で、何かお願いをするときも母を通して話しをするような可愛げのない娘でしたが、それは自立してからもあまり変わらなくて、入院中にお見舞いに行くこともほとんどなかったです。母がSOSを出した時だけ、見に行くといった感じでした。

父は亡くなる少し前に「死にたくない」と言いました。

それならば、もっと早い段階から、自分の体をいたわり、元気で長生きするための努力をして欲しかったと思いました。先天性の糖尿病ではなかったので、生活習慣を改善すれば病気の進行を抑えられたと思います。

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父が亡くなった時、私は35歳でしたが、自分の人生の残り時間について真剣に考えるようになりました。父のDNAを受け継いでいるので、私も父に似た面が所々あります。自分がこの先、いつ病気になったり、事故に遭ったりするかはわからないけれど、もし、明日死んだとしても、それまでの人生に悔いが残らないように毎日を大切に生きていこうと思い、父が歩けなくなった60歳までの目標を立てるようになりました。

やりたいことをやり、見たいものを見て、自分に残された時間を大切にし、最期の日まで自分の意志と足で歩くこと。

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人との繋がりを大切にして、自分を必要としてくれる人には出来るだけのことをして、少しでもマシな人間になりたいと思いました。

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ちょうどその年に登山に連れていってもらい、翌年から徐々に山にハマっていくのですが、山頂を目指しながら色々な山道をトボトボ歩くことで、今までぼんやり感じていたことがスッキリと考えられるようになりました。

必要最低限の装備を背負い、自分の足で歩き、そして、人様に迷惑を掛けずに下山して、家まで帰ること。

ただそれだけのことですが、思考がシンプルになり、目標を達成するまでのプロセスを具体的に考えられるようになりました。

5年前に立てた目標は、当時はまだざっくりとしたものでしたが、今ではそれが少しずつ変化しながらも、だんだん明確になってきたように思います。

40歳までに個展を開くこと。

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45歳までにキリマンジャロに登ること。

そして、本を出すこと。

私の山行を楽しみにしてくれる人の為でもあるし、何よりも自分の歩いた道と自分の目で見た景色を自分のために残したいと思っています。

私は活字と数字にとても弱いけれど、短い言葉ならば、誰でも理解できると思うし、私にしか表現できない世界があると思うから。

目標までの時間と今現在の自分のスキルを把握して、逆算すると、これから自分が何をするべきで、どんなスキルが必要かが見えてきます。

今日で41歳になりました。私を産んでくれて、のびのびと育ててくれた両親に感謝しています。

父は私にとても大切なことを教えてくれたのだと思います。

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個展開催にかかる費用

「灯の杜」に来てくれたごく親しいお友達に「これ、全部で幾らかかってるの?」と聞かれることが多かったんですが、個展開催について興味を持っている人も多いようなので、今日はお金の話を少ししたいと思います。

灯の杜ポスター

展示会の形態には「個展」や「企画展」などがあると思います。

「個展」の場合、会場探しから始めて、作品の制作費に関してはもちろんですが、あらゆる経費は全て自分持ちになります。あったりまえの話ですが。

数人のグループで行う「グループ展」ならば会場の借上料や広告宣伝費など、共同でかかる部分はシェアできますね。

主催者が別にいる「企画展」に作品の展示を依頼された場合は、会場費などは主催者側が負担してくれると思いますが、ひょっとすると会場費や広告宣伝費の一部を「出展料」として負担することがあるかもしれません。

私の場合は「個展」なので、全部、自分持ちでした。展示する作品については、自分のものだけではなく、お友達にも協力してもらいましたが、展示にかかる備品については全て私が負担しています。

私は見かけによらず、お金の出入りに関してはきっちり管理している方で、家計簿は1円狂わずつけているし、科目ごとに分析して、年間どれぐらいの費用が掛かっているかを把握しています。昔から貯蓄よりも自己投資にお金を掛けるタイプなので、自分のスキルを磨くために必要なものならば、多少高くても買ってしまうので、貯金はほとんどありませんが。(笑)

今回の個展については、今年の目標にしていたからだけではなく、ずっと前から考えていたことでした。

ちょうど5年ほど前から私の器たちを買ってくれる人がポツポツといて、その売上金を陶芸専用口座に貯蓄していました。普段、その口座に手を付けることはありませんが、大きなイベントに出展するときは、出展料や焼成代などでまとまったお金が必要になるので、そこから引き出して資金にしていました。

今年は「えべつやきもの市」に出店し、その後、先生からロクロを買ったり、さらに(ここでは書いてないけど)アトリエの整備に少しお金が掛かり、貯金残高は10万円ほどになりました。

というわけで「灯の杜」の予算は「10万円」に設定しました。

そして、かかった経費の内訳はこちらです。

経費内訳

LEDキャンドルなどは去年買ったものを使っているので、今回の集計に含めていませんが、ギリギリになってからイルミネーションを追加したり、名刺用紙を買ったりして、ちょっと予算オーバーしてしまいましたが、かなりがんばった方だと思います。陶芸と写真の展示の他に、展示台やイルミネーション、広告宣伝に掛かる費用を全てひっくるめての話ですからね。

これまでの経験から、陶芸に掛かる費用はそれなりに計算できるし、どれぐらいで準備できるかも予想できますが、写真に掛かる費用が大きいことがよくわかりました。額縁とプリント代でかなりのウェイトを占めています。展示する時も大変だったし、とてもいい経験になりました。

木工については、五郎さんの人件費が含まれていないし、五郎さんが持ち出してくれた資材があるので、五郎さんが身を削ってくれている部分が大きいです。

この他、移動にかかった交通費も含まれていません。パジェコはよく食べるので、実際には交通費が結構大きいかなと思います。(笑)

私は陶芸家でもないし、写真家でもありません。でも、自分のイメージしていることを表現するための「アイディア」と「行動力」を持っています。そして、一番の強みは「人脈」なのだと思いました。

私のやりたいことを応援してくれる人がいて、そういう人たちが一生懸命支えてくれています。迷惑掛けっぱなしだけど、それでも私に関わっていたいと思ってくれる人がいるなんて、最高じゃないですか~。

「また、来年もやって」と言ってくれる人は多いのですが、陶芸貯金はマイナスになりましたので、しばらくはやらないと思います。(笑)

言霊の木を探しに

私は活字と数字に弱く、特に長い文章は苦手なので、普段から短い言葉やフレーズを大事にしています。それらを「言霊(ことだま)たち」と呼んでいて、それをデータベース化して、いつでも取り出せるようにしているんですが、会話の中ではその言霊たちを組み合わせながら話をすることが多いです。

今回の個展では、来てくれた人に読み物があったらいいな~と思い、木をスライスしたプレートに言霊たちを印刷した「言霊プレート」を作ってみたんですが、これがとても人気がありました。ぶっちゃけ、キャンドルポットよりも人気があったんじゃないかな~と。(笑)

さらに読むだけではなく、この「言霊プレート」が欲しいというリクエストが沢山ありました。何がブレークするか分からないものですね。

そしたら、今度は木材屋さんとの出会いがあり、それじゃ木から探してみようということになりまして、あれよあれよと話が進み、パジェコでなければ進めないかなりの悪路を走り、現場に連れてきてもらいました。天気も良く、久々のお山の中でテンションMAXでございます。

注意:山や森は誰かの持ち物です。私有地であったり、国有地であったりします。なので、勝手に入って伐採などしてはいけません。

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古い登山靴を持ってきたんですけど、一瞬でこんな状況になりました。洗うのが大変だったので、長靴の方が良かったなと。

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私たちの暮らしの中で、木から作られるものは沢山ありますよね。生活になくてはならないものですが、木を伐採することについては、環境への影響がとても気になります。森がなければ、生態系が壊れていくし、だけど、これだけ便利な世の中になってしまったのに「紙」がなくなったらどうなるのかな?

自然と共存し、いろんな命を犠牲にしながら、生かされているということを常に忘れてはいけないと思っています。

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実際に木を伐採する様子も見せてもらいましたが、大きな重機を手先のように使い、挟んで、カットして・・・という作業があっという間に終わるんです。まるで、映画「トランスフォーマー」の世界でした。人類はすごいものを発明するんだな~と思いました。

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伐採された木にはサイズごとに分けられて、キレイに積み上げられていきます。自然と文明の狭間で複雑な気持ちでしたが、こうやって私たちの暮らしが支えられているんだなと思いました。実際にこうやって現場に来れてとても良かったです。こうした現場では、規格に合わない廃材が沢山出てくるので、そうしたものを有効利用したいと思っています。

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お仕事の邪魔になるので、早々に退散しましたが、途中でホタテを買ってきて、五郎さんにお裾分けしたんですけど、網がなかったので、五郎さんの草刈り機の刃を使いました。(笑)

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五郎さんの木工スイッチも入りっぱなしなので、次のプロジェクトについて打ち合わせしました。面白いことになりそうです。

小豆おじさん

「灯の杜」にはたくさんの人が訪れてくれて、入林届の枚数から逆算すると、合計で400人ぐらいはいってるかな~?と考えていましたが、先日、アルテピアッツァから来場者集計が届きました。私が借りたギャラリーの来場者というわけではなく、スタッフがいる部屋を訪れた人の数をカウントしているそうですが、会期中の来場者は「355名」だったようです。ギャラリーへ行くまでの入口は2箇所あり、幼稚園側の入口から入って、スタッフのいる部屋に立ち寄らず、そのまま帰った人は含まれていないので、だいたい予想通りだと思います。集計には市内外の区別があったので、どうやって調べているのか問い合わせてみましたが、市内の人はだいたい分かるそうなので、アバウトながらもだいたい合っているそうです。まさか、集計をしてくれているとは思っていなかったので驚きました。

北海道新聞の空知版に掲載されたこともあり、それからの訪問者はかなり増えたようです。私がいない間にも面識のない方からの差し入れやお祝いのワインなどが届いていたりして、驚くことがたくさんありました。

来場者集計

私が在廊している間には、友達もたくさん来てくれて、地元の美味しいスイーツを持ってきてくれる人や私が行動食にしているおやつなどを持ってきてくれる人も多かったです。ギリギリまでスイッチが入らなかったし、個展なんだから好きにやればいいと軽いノリで始めたことなのに、こんなにたくさんの人が来てくれて、本当にスゴイことだと思いました。お礼をする資金は底をついてしまったし、プレゼントする器も用意できなかったので、次の機会までまたたくさん作ろうと思います、ハイ。

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仕事が立て込んでいるので、イベントが終わったら必ずやっている集計作業もまだ手付かずの状態ですが、ほんわかする出来事があったので書いておきたいと思いました。

9日間の会期中、私が在廊していたのは土日祝(11月15日・16日・22日・23日・24日)の5日間でしたが、23日(日)は天気がよかったこともあり、来場者がとても多く、お昼を過ぎたあたりから、ギャラリー内が常に人でいっぱいの状態になっていました。新聞を見て来てくれた人や、ニセコや余市からから来てくれた友達...色んな人が入れ替わっていく中、なかなか帰らないおじさんがいました。70歳は過ぎていたと思います。そのおじさんは隣町から来ていて、ずいぶん私の作品を気に入ってくれたようでした。夏は近くの山にも登るようで、私の登山歴に興味を持ち、作っていたプロフィールを隅から隅まで読んで「ここの山はどうだった?」とか「この写真はどこから撮ったものか?」とか、色々質問してきました。

ぶっちゃけ、他に話をしたい友達もたくさんいたので、あまりおじさんに構っている暇はなかったのですが、この空間がとても気に入ったようで、用意しておいた山の本を読み、器たちを手に取り、「居心地がいい」と言っていました。一度帰ったかと思えば、また少しして戻ってきたりして、結局、おじさんが帰ったのは4時を過ぎた頃でした。昼過ぎに来たと思うので、4時間も居たことになります。(笑)

そして、最終日。朝から来てくれたJB三兄弟とゆっくりおしゃべりをする時間が取れましたが、10時を回った頃には来場者がボチボチ増え始め、そして「また来ちゃった」と言って、昨日のおじさんがやって来たのです。

おじさんは、おもむろにノートを取り出し、私のプロフィールの登山歴の部分を書き始めたのです。これから登る山の参考にするのかもしれませんが、これを書くのに何十分もかかっていたと思います。このプロフィールは、最初から用意していたものではなく、後半3日間だけ展示していました。これを欲しいという人は実際にはもっといて、何枚か用意しておけばよかったのかなとも思いました。つーか、これを欲しいという人がいるとは思わなかったですけどね。(笑)

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昼過ぎに「お昼だからそろそろ帰る」と言い出したおじさんは、持ってきた紙袋から何やら取り出して私にくれました。

何かと思ったら「もうすぐ冬至が来るから、おしるこを作って食べたらいい」と、家庭菜園で採れたという「小豆」をくれたのです。

料理をしない私にとっては、かなりハードルの高い差し入れですが、出来上がったお菓子ではなく、原材料をくれたことはとても新鮮で、とても嬉しく思いました。

おじさんが手間ひまかけて育てた大事な小豆だもの。おしるこ作ってみるかな~。

小豆のおじさん

作ったらもちろんブログで報告します!(笑)

雲の上の繋がり

登山を始めて5年経ちましたが、最初の2年目まではベテランに引率してもらったり、パーティ登山が多かったんですが、3年目ぐらいからは自由気ままなソロが多くなってきました。私はとても方向音痴で、普段からあまり周りを気にしない傾向にあるので、時々市内でも道に迷うことがあります。そんな人が山で道に迷ったら即遭難ということにもなりかねないので、自分の歩いたルートをきちんと記録として残すようになりました。この山行記録として使っているサービスが「ヤマレコ」です。写真を撮り、GPSログを取り、自分の歩いたルートやかかった時間、その時期に見られる高山植物など、自分のために記録をしっかり残しています。

そうやって自分の記録をコツコツ残していたら、沢山のユーザーの目に留まるようになり、そこからまたネットワークが広がっていきました。登山に興味はあるけど、年齢や体力的に難しい人からは「山に登った気持ちになれて楽しい」と言ってもらえるようになりました。自分のために始めたことですが、結果的に誰かの役に立つようになっているというのはいいものです。

写真の部で友情出演をしてもらった人は5人いましたが、そのうち2人はこのヤマレコで繋がったお友達(I_am_RyoさんとYahさん)です。

リアルな友達も沢山来てくれる中、ヤマレコ内でも告知をしたこともあり沢山のヤマレコユーザーが足を運んでくれました。入林届を確認したところ、18名の足跡がありましたが、私に話し掛けてくれる人もいたし、そうでない人もいました。前半は写真を撮るのをすっかり忘れていたんですが、後半の3連休では訪問してくれた人の写真をこっそり撮っておきました。

すでにセッションしたことのある人もいるし、今回初対面の人もいました。山屋さんはフットワークが軽いこともあってか、道内のあちこちから掛けてつけてくれました。

3連休初日は、驚異的なスポーツ心臓を持つ日帰り専門スーパー山ボーイのatomicさんが愛知から来てくれました。北海道を離れてしばらく経ちますが、今回は初滑りのために来たそうです。残念なことに私の周囲を囲む雨雲が影響したのか、ゲレンデのコンディションがよくなさそうだったので予定を変更して立ち寄ってくれました。私の雨雲パワーは北海道全域を覆っていたようです。(笑)

atomic

そして、真ん中の日曜日、北海道ブロックの中ではアイドル的存在のshizuさんが来てくれました。彼女のことを知らない人はいないでしょう。初めましてですが、写真ではいつも見ていたので彼女だとすぐに分かりました。すぐに打ち解け、来年目指しているお山の話などしました。日曜日は天気が良かったこともあり、来場者がとても多くて、あまり長い時間はお話できなかったんですけど、山の話は尽きないもんね。また今度ゆっくりね。

shizu

そして、最終日の朝一番に今回友情出演してくれたI_am_Ryoさん、noshiさん、STHさんが来てくれました。JB三兄弟と呼んでいますが、デジイチ三兄弟とも言えます。3人ともかなりの健脚で北海道のビックマウンテンをサクサクこなす兵たちです。noshiさんとSTHさんは、お山でスライドしたことはあったけど、こうやって直接話すのは初めてです。みんな若くて可愛い。(笑)

JB

そして、toruyukeさん。地質や化学系のお仕事をされているようで、興味深いお話が沢山聞けました。焼き上がった陶器の色を見て、何の成分が混ざっているかわかるそうです。きっとあの蜂の巣みたいなのが分かるんでしょうね。

toruyuke

そして、天塩岳をコラボする予定だったけど、叶わなかった533mさん。終了間際に来てくれました。初対面ですけど、何度かメッセージ交換していたので、そんな感じはしなかったです。レコで見るのと同じ、ふわふわした優しい印象でした。ヤマレコ北海道ブロック女性支部で飲み会やろう!と水面下で話を進めています。(笑)

533m

まだまだ沢山足跡が残っていましたが、私が不在の時だったり、写真を撮るのを忘れてしまったので、ここでお礼申し上げます。正面からの写真を撮った方については、後日、メールやメッセージ等で送りますね。

cherryfarmさん
dahamaさん
shinshi-44さん
nishiyan6さん
yahさん
hiroki_さん
tsunamayoさん
yama-hikaruさん
syunpaさん
atomicさん
i-tomoさん
settidazeさん
shizu0421さん
I_am_Ryoさん
STHさん
noshiさん
toruyukeさん
533mさん

ヤマレコ以前から知っているお友達もいますが、ほとんどはヤマレコを通して知った方ばかりです。不思議なご縁ですが、雲の上の繋がりってすごいな~と思いました。

後片付けが終わって、雪が安定したら、冬山スイッチが自然と入ると思うので、お山かヤマレコで会いましょう。ありがとうございました。

追伸:本業がピークに忙しいので、コメントはしばらく閉鎖します。ごめんなさい。

「灯の杜」終了

アルテピアッツァ美唄にて、11月15日~11月24日まで行っていた初の個展「灯の杜」が無事に終了しました。9日間の会期中、私が在廊していたのは5日間でしたが、多くの方々が会場まで足を運んでくれました。入林届には沢山のメッセージが寄せられ、予想をはるかに上回る来場者数に驚いています。毎日届く差し入れで、日に日に体重が増加しましたが、色々な方々と交流ができて、とても楽しく過ごすことができました。

このブログを見てくれている人はご存知の通り、本腰を入れたのはつい2ヶ月前でした。陶芸は好きだけど、モノが溢れているこの時代に不燃物を作り続けることに強いジレンマを抱えていて、このまま続けていってもいいのかな...いっそのこと辞めてしまおうかと考えていました。それでも、私の器たちを気に入って使ってくれている人もいるし、私のことを応援してくれる人やサポートしてくれる人も沢山いて、色んな繋がりができて、どんどんネットワークが広がっていきました。

パソコンに夢中だった10年、陶芸に夢中だった8年、そして、山に夢中になった5年間をひっくるめて、私がやってきたことと、これまで関わってきてくれた人たちを余すところなく絡めながら、今私ができることを最大限に形にしました。

後片付けもまだ何もできていませんので、取り急ぎお礼まで。お返しを買う資金は残っておりませんので、何もできませんが。(笑)

応援してくれて、足を運んでくれて、関わってくれた皆さまに感謝しています。ありがとう。そして、これからもよろしくね。

灯の杜終了

私が最初に作った「ランプシェード」と先月出会ったばかりの五郎さんが作ってくれた胡桃の木に電池を埋め込んだエコでスマートな「五郎ライト」。古いものと新しい出会いが融合しています。まだ試作段階なので、これから改良して、色々な方に使ってもらえるようにリリースしていこうと思っています。

個展開催に興味を持っている方も多いようなので、開催までの細かな内容については、これから書いていこうと思います。

大事なのは一生懸命やったこと。結果は後からついてくる。

「灯の杜」入林届

「灯の杜」には、私のアイディアと遊び心を出来る限り詰め込み、私財と全身全霊を投入しました。(笑) 本格的に準備を始めたのは10月過ぎてからだったので、本当にギリギリだったと思います。私が在廊していた初日と2日目はお友達が沢山駆けつけてくれました。パソコンインストラクター時代の生徒さん、そこから派生したえびすの仲間達、陶芸の仲間や先生、そして、登山をするようになって、行動範囲が雲の上になり、友達も全道各地に増えてきたので、遠い所から山友も来てくれました。

さらに、まだ会ったこともないけれど、私のことを知っているという、情報共有サービス「ヤマレコ」からの訪問者。まさに「クラウド(雲の上)」ってやつだよね。(笑)

雪が降ったり止んだりで、路面状況もよくない中、はるばる見に来てくれる人がいることに感謝しています。私が何かやると大抵、雨か雪です。

今回の展示では、ナチュラルでレトロな木造校舎に合うよう展示台や小物にもこだわっています。五郎さんに出会ったのは10月8日でしたが、それから1ヶ月で構想はみるみる膨らんでいきました。五郎さんの木を惜しげもなく使い、登山をやっている人なら分かるであろうメッセージなども用意しています。私がいなくても、私の世界は伝わるんじゃないかと思います。

ご来場アンケートには、気に入った作品の番号や友情出演してくれている方々の作品などを記入してもらうようになっています。入林届を用意していますので、自由な意見を書いて投函していってください。

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来場者が点灯式に参加できるように「点灯式スタンド」を作りました。ここを押すと、ツリーのイルミネーションと友情出演のライトが付くんですが、明るい時間帯はあまり分からないと思います。

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さりげなく飾っている「五郎ライト」ですが、市販のコード付きソケットを分解して、木の中を通して、半田ごてしてくれている五郎さんの手間がかかった逸品です。すでに予約が殺到しています。

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私の作品は五郎さんが作ってくれたツリーに展示しています。中に電池式のLEDキャンドルが入っているので、自由にスイッチを入れて灯りを楽しんでください。作品には管理番号を付けていて、今後の制作の参考にするため、アンケートで気に入った番号を書いてもらうようにしています。

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初めての灯油窯を使った作品。渋い色が出て、とても気に入りました。窯を買うなら、灯油窯がいいな~と思っています。

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全部ではないですが、お皿を重ねているポットがあります。アロマを楽しむこともできますし、屋外で使う時は雨や雪から炎を守る屋根になります。

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大きめの作品もあります。今の私が挽ける最高の高さです。ロクロの腕はまだまだ未熟です。

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こちらも灯油窯を使った作品ですが、生成り色のマットがキレイに出ました。とても優しい色です。

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陶友会のメンバーに友情出演してもらいました。私にはできない手びねりの世界は本当に無限ですね。いや~、素晴らしい。

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まだ陶芸を始めたばかりの3人ですが、テーマを決めて作品を作ることで、いい刺激になったようです。

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これまで皆の作品を紹介する場がなかったので、今回の展示できっかけ作りが出来たと思います。

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灯りをテーマにした写真の展示もしています。私を合わせて全部で6人、計12点あります。一眼レフユーザーも急増しているので、写真を撮ってる人も多いですよね。ギャラリーに偶然訪れた方は写真に興味を持つ方が多いようです。

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私が在廊している土・日・祝日は、山の本やお山で撮った写真をまとめたスライドショーを準備しています。ゆっくりしていける方は折りたたみの椅子など持って来て下さい。

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活字と数字が苦手な私は昔から短い言葉を大切にしています。山を歩きながら感じたことなど、思いついた言葉は忘れないように言霊データベースにしているんですが、今回、訪問した人に何か読み物があるといいな~と思って、言霊たちを木のプレートに印刷して、ポットたちと一緒に飾っています。本番に間に合うか分からなかったので、内緒にしてたんですが、徹夜でなんとか仕上げました。どうしても家でできる作業は後回しになってしまいます。まぁ、これが私かなと。(笑)

このプレートが大人気でした。欲しいとリクエストをくれる方も多いし、すぐに作れるのでオーダーも受けています。五郎さんは私に振り回されて、大忙しだわね。(笑)

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4時過ぎ、スポットライトを消すとこんな風に輝きます。イメージ通りですが、とっても感動しました。

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たくさんの方々の協力があり、ここまで出来ました。私の80%はみんなで出来ているんだなと思いました。

私はみんなでできている。